脳神経リハビリ北大路病院のあらたな歴史のはじまり(四季報 2024年1月号)

令和6年 新たな脳神経リハビリ北大路病院の始まり

 院長 岡田達也

皆様明けましておめでとうございます。
元号が平成から令和に変わり早5年が経過しようとしています。この間世界は近代社会となってから初めての新型コロナ禍という大きな感染症災禍に見舞われました。

医療が発達したと言ってもまだまだ未知の疾患や原因不明の疾患が数多く存在し、今後も人類を悩ませ続ける事は想像に難くありません。改めて我々医療関係者は常に謙虚でいなければならないと痛感させられた出来事でした。

脳神経リハビリ北大路病院は、令和5年(2023年)12月1日に開院15周年を迎えました。これもひとえに皆様方のご協力、ご指導の賜物と感謝いたしております。

これまでの15年

平成20年(2008年)12月1日に「石野病院」が新築移転し、「脳神経リハビリ北大路病院」となり新規開院しました。平成21年(2009年)7月1日に、京都市左京区で5番目の回復期リハビリテーション病棟を取得し、2病棟体制となり、「回復期リハビリテーション病棟(36床)」と「障がい者病棟(20床)」になりました。訪問リハビリテーション「きたおおじ」の充実も徐々に図ってきました。

リハビリテーションそのものだけではなく、心療内科医、臨床心理士による精神面のサポート、嚥下内視鏡検査、緊急時のCT・MRI検査など、他のリハビリ病院にはない独自の機能も最大限に使って、患者様の在宅復帰さらに在宅復帰後のお手伝いをしてきました。

また、音楽療法についても入院患者様に多様なリハビリを選んでいただけるようになりました。令和5年(2023年)には、10月1日に病棟再編成を行い、全床「回復期リハビリテーション病棟Ⅰ(56床)」に生まれ変わりました。

スタッフ一同回復期リハビリ病棟の最大の目標である「在宅復帰」を目指して気持ちを新たにしている所です。

これからの脳神経リハビリ北大路病院

さて、次の5年10年に脳神経リハビリ北大路病院は何ができるのか。現在の超高齢化少子化社会においては単純に在宅へ帰っていただくためのリハビリと言っても一筋縄ではいきません。

九十歳を超えた方が頑張ってリハビリをしても在宅で介護をする方は七十歳を超えた高齢者である。または独居で介護者はいない。リハビリの対象疾患以外の合併症がいくつもある。五十歳で脳卒中患者となり、一家の大黒柱が働けなくなり、大きな後遺症を残して退院となるととても在宅で介護を続ける余裕はない。回復期リハビリ病院に課せられた仕事は困難で多岐にわたります。

そんな中で当院の回復期リハビリ病棟は15年にわたって高い在宅復帰率とFIM利得を続けてきました。また、障がい者病棟では急性期病院での治療半ばの重症患者さんを受け入れ、中には在宅復帰をかなえた方もおられます。これまでの障がい者病棟でのスタッフの様々な経験は、ますます重症患者様が増える「回復期リハビリテーション病棟Ⅰ」において大きな力となることと思います。

脳神経リハビリ北大路病院は、体のリハビリだけではなく、心のリハビリ、生活のリハビリ、仕事のリハビリ等、患者様のその後の人生全般を見通したリハビリを行い、微力ながら地域医療に継続的に貢献していければと考えています。

本年もご指導ご鞭撻の程よろしくお願い申し上げます。
                          令和6年 正月

富山湾から望む雪の立山連峰。JR西日本 氷見線(越中国分-雨晴)
新型コロナで休んでいましたが、今年は鉄道写真も再開したいと思っています。

脳神経リハビリ北大路病院の2023年を振り返る

事務長 眞下 仁

 今から遡ること73年前、1950年に創設者石野琢二郎が京都市左京区北白川に診療所を開設したところから我々の法人は歴史をスタートさせてきました。その後56床の旧石野外科病院を開設し、その病院を母体とし経営を続けた後、名称も新たに『脳神経リハビリ北大路病院』を左京区一条寺に新規開設し、2023 年で15周年を迎える事となりました。

新築移転当初は、回復期リハビリテーション病棟と障がい者病棟の二つの機能を有する病院でスタートし、15周年の今年は障がい者病棟を廃止し、56床全て回復期リハビリテーション病棟のみのリハビリテーションに特化した病院として新たな歩みを迎えます。

法人としても、医療法人一仁会から医療法人清水会に参画し、新たなスタートを切ったフレッシュな一年となりました。


 ところで、我々の歴史から培った強みは何でしょうか?自問自答してみます。
 病院名通り、脳神経に強い病院。
 病院名通り、リハビリテーションに強い病院。
 病院名通り、脳神経疾患予後予測に長けた病棟
うーん。

確かに強みは、そうとも言えますが、事務長の立場から俯瞰した時に思い浮かぶ強みは・・・
やはり「職員の笑顔」でしょうかね。病院の語源はHOTELです。と、なれば当院職員のもたらすホスピタリティは、紛れもない強みなのではないかと、日々病棟などで接する職員を見ながら思う次第です。笑顔で患者様をお迎えし、笑顔で退院していただく。その間の病棟での生活も笑顔になっていただきたい。そして外来や在宅復帰後は居宅部門や訪問リハビリ部門が笑顔で在宅生活をお支えします。

2024年も脳神経リハビリ北大路病院が地域と共に歩めますよう、よろしくお願い申し上げます。

副院長推薦 日本のロック・フォーク・ポップス名盤

第13回『ボカロ三昧』和楽器バンド

京都に縁のある作品を中心にご紹介しています。

和楽器バンドは、ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムスという一般的なロックバンドの編成に、尺八、箏、津軽三味線、和太鼓という和楽器を加え、8人組のユニークなバンドです。津軽三味線担当の蜷川べには京都府出身です。

『ボカロ三昧』は2014年に発表された彼らのデビューアルバムなのですが、すべて、ボカロ曲のカバーというこれまたユニークすぎる内容です。ボカロとは、VOCALOID(ボーカロイド)の略称で、メロディーと歌詞を入力することでサンプリングされた人の声を元にした歌声を合成する技術やソフトの総称です。初音ミクはその代表格です。VOCALOIDを使用した曲を作曲しているミュージシャンをボカロPといい、その作品をボカロ曲といいます。

コンピューターですから、音域や曲のスピード等どんなに難易度を高くしても歌うことができます。また、伴奏もDAW(デジタル・オーディオ・ワークステーション/Digital Audio Workstation)というこれまたコンピューター上のソフトで作ることがほとんどですので、通常の楽器では演奏困難な曲が多いのもボカロ曲の特徴です。

YOASOBIのAyaseや、米津玄師も元はボカロPであり、彼らの度肝を抜くコード進行や転調も、コンピューターで作曲していることが大いに影響していると思われます。現在J-POPの主流の多くがボカロ曲をルーツとしていると言えます。

こういった、コンピューターで作られた演奏困難な曲を、バンドで、しかもコンピューターとは一番縁遠いと思われる和楽器を取り入れて演奏しているため、当時衝撃的なデビューとなったわけです。『ボカロ三昧』にも入っている彼らの代表曲「千本桜」は、初音ミクが歌っている原曲がYouTubeで5400万再生なのに対して、1.6億回再生となっていることからも、そのインパクトの強さを理解していただけると思います。また、先ほども書きましたように、ボカロ曲は度肝を抜く転調がその特徴の一つですが、和楽器はもともと、平均律の曲を演奏するようにはできていないので、転調が不得意です。そのため、曲の途中で楽器を変更することもあるようです。スタジオでの多重録音であれば何ら問題はありませんが、それをライブで再現してしまうところが、彼らの凄いところです。

副院長 音楽療法士 岡田 純