目指すは「患者さんの人生にとって意味のある活動や役割を取り戻すこと」

患者さんの人生にとって意味のある活動や、役割を取り戻すことを目指しています

 リハビリテーション部

 脳神経リハビリ北大路病院は厚生労働省の施設基準Ⅰを取得しており、患者さん一人ひとりに合わせた個別のリハビリテーション計画を立て、日常生活や社会復帰を目指してサポートしています。

①リハビリテーション介入時間の拡充

 当院はリハビリスタッフの早出・遅出の勤務を取り入れています。そのためリハビリ時間が、 朝7時20分から夜19時までリハビリテーションの時間を設けることで、患者さんの生活リズムに合わせ起床、朝の身支度、食事、就寝までの病棟生活場面での介入が可能になっています。

 これにより患者さんの自立度や生活の質を向上させるとともに、退院後の生活にもスムーズに 移行できるようになります。

歯磨きの介入の様子
夕食介入の様子

②他職種のチーム医療によるリハビリテーション

 定期的にカンファレンスを行い、患者さんの状態やリハビリの進捗状況を共有し、リハビリテーション計画の見直しや調整を行うことで、多職種スタッフが連携し、患者さんの身体的・精神的・社会的な側面に対応しております。 また、リハビリ見学等して頂き、ご家族とともに密にコミュニケーションをとり、リハビリテーションに関する状況提供や話し合いを行っています。

③1日最大3時間のリハビリテーション

 患者さんの体力や状態に応じて、1日最大3時間のリハビリテーションを実施しています。時間やリハビリ内容は患者さんのニーズや目標に合わせて調整します。リハビリテーションは単に身体機能の回復や維持だけではなく、生活動作や患者さんの趣味嗜好を考慮した社会参加の促進も目的としています。

当院のリハビリテーションにご興味のある方は、お気軽にお問合せ下さい。


副院長推薦 日本のロック・フォーク・ポップス名盤

第14回 『THE TIGERS 2013 LIVE in TOKYO DOME』ザ・タイガース

 京都に縁のある作品を中心にご紹介しています。

 ザ・タイガースの原型は、瞳みのる、岸部修三(岸部一徳)、森本太郎、加橋かつみの4人で1965年に京都市で結成された「サリーとプレイボーイズ」です。瞳、岸部、森本は北野中学校の同級生で、加橋は山城高校で瞳の2学年下でした。その後、岡崎中学卒業後、鴨沂高校を中退した沢田研二を加え、バンド名を「ファニーズ」に変更。関西のライブハウスで人気を得た後、1966年に「ザ・タイガース」としてメジャーデビューします。私より年齢が上の方は、当時の彼らの凄まじい人気はよくご存じと思います。1969年には加橋が脱退し、岸部修三の弟岸部シローが加入しますが、1971年人気絶頂の中解散してしまいます。その後、何度か一時的な再活動をしていますが、芸能界を引退した瞳が参加することはありませんでした。

 しかし2013年、44年ぶりにオリジナルメンバーが集まり、全国ツアーが行われました。『THE TIGERS 2013 LIVE in TOKYO DOME』は、45000人の観客を集めて行われた、ツアーファイナル「東京ドーム」ライブの完全収録版です。DVDのみでCDは発売されておりません。

 44年ぶりのオリジナルメンバーによるライブというだけで、この作品を見る価値はありますが、パフォーマンス自体も注目すべきです。解散後もソロ歌手として活躍し続けている沢田研二の歌が素晴らしいのはもちろんなのですが、私が特筆したいのは、岸部一徳のベースプレイです。1975年に井上堯之バンドを脱退後ミュージシャンとしては廃業し、俳優活動に専念している彼ですが、ブランクを感じさせない安定感のある、歌うようなベースラインを披露しています。実は、彼も北野中学卒業後、伏見工業に入学と同時に左京区に引っ越ししています。

 かつての「ザ・タイガース」ファンはもちろんのこと、若い方々、特に当院に関わる方々には地元から生まれたスーパーバンドの奇跡の復活ライブをご覧いただきたいと思います。

 脳神経リハビリ北大路病院   
副院長 音楽療法士 岡田 純